10年以上、発達障害では?と思いながら生きづらい生活を送っていました。
この度障害者手帳(精神障害者福祉手帳3級)を取得することが出来まして、
同じように「自分は発達障害なんじゃないか」と思っている人に少しでも役に立てばと思い、自分が取得に至った流れを書いてみます。
発達障害を疑いつつも、「あなたは違う」と言われてきた
私が「自分は発達障害なんじゃないか」と疑い始めたのは、通信大学での福祉系のテキスト(たしか子供の発達とか心理学の分野だったと思う)がきっかけでした。
挙げられている特徴が自分に当てはまることが多く、それまでの生きづらさについて点が線になったような感覚で。
そもそも現役大学生の年齢で通信大学に通い始めたのも、通学制の大学にて、
- 高校のクラス制からいきなり自由を手にして孤立していた
- クラス制じゃなく、交友関係もできなかったからテスト範囲とか情報の取得が難しい
- 掲示板から自分に必要な情報を読み取るのが困難
- 単位制がよくわからない(1年にどれくらい取れば良い、必修はどれくらい、とか。数字の感覚が弱い?算数障害?)
と、戸惑ってばかりいて編入したからなんですよね。
高校までは、暗記は時間をかけさえすれば出来てクラス制だったからインドアの友達が少しは出来て、情報交換が出来たから先生の指示なんかもそれなりには守れたほうでした。
でも、優等生で通ってたわりには宿題の範囲を間違えて怖い先生に叱られたり、ランドセルを友達のと間違ったり(当時は女子は赤のランドセルばかりの時代です)、机の引き出しがグチャグチャしてたり。
目立たないけどやっぱり特性はあった子でした。
大学という、自由度が高くなった段階になって困り感が増えてきた感じですね。
大学1年にて心療内科1回めの受診
通学制の大学にてうまく行かないことばかりで休みがちになり、
この頃に初めて、地元の心療内科に行っています。
この時点では発達障害のことは知りませんし、先生も特にそういう話は出してません。
悩みを聞いてもらって適応障害ということで向精神薬を出してもらいましたが、これをちゃんと飲んだ記憶はないですね……継続して飲めない。(精神薬に抵抗があるというより、特性的なもの)
発達障害支援センターにて相談する
通信大学ということで普段はバイトで学費を稼ぎながら勉学に励むということで親に編入を許してもらったはずなのに、バイト自体もレストランの紹介派遣で最低限、という感じ。
この時点で仕事が怖くなっています……というのも、
- 棚卸しのバイトで30分もたたずクビ(品数を数えるのが遅すぎた/高校卒業間際)
- そもそも履歴書や面接にて落とされる
- 飲食店でお客さんに呼ばれても気づかなくてブチギレられる、金額の過不足、注文の聞き間違い
というような苦い思い出がありまくりで。
地元は田舎なので、接客業以外はほとんど求人がなく。
どこも人手不足なのでトロい私はお荷物状態。
通信大学なので就職活動のサポートもなく、たしかこの段階で発達障害支援センターへのアクセスをはかっています。
「あなたは違うと思います」との判断
上に書いたような今までの困りごとをセンターの職員さんに「自分が発達障害ではないかと思っている」と話したら、「いろんな方を見てきましたが、あなたは違うと思います」と言われました。
それは不安に思う私を安心させようとする言葉で、職員さんはセンターのPCを指さして「せっかく来たのだからこちらで求人を探すことも出来ますよ」と声をかけてもくれました。
でもそしたらこの生きづらさはなんなんだ……と。
ブラック企業で残業三昧
通信大学で福祉系の公務員になろうとしたけど挫折(福祉施設の実習で自身の不注意によりおばあちゃんのベッド移乗で、関節を痛くさせて資格取得の心が折れた。公務員試験の範囲の広さに算数系厳しいのでついてけない)。
大学を卒業して「小説系のHP運営してたし、興味ある仕事といえばWEBデザイン!」とそっちに舵を切るも、「小説を書いて発表する場としてサイトをデザインするのが楽しいんであって、デザインそのものに興味が湧かないわ……」と気づき。
デザインの勉強は町の復興支援事業で給料貰いながらやっていましたが、さてこれからどうするか……といったところで、月収20万の仕事に飛びつきます。
親を安心させたい一心でした。残業20時間くらいなら我慢できる。まあ、固定残業代込みだけど。
フタを開ければ午前1時まで残業することもたまにあるくらいのブラックでした。
残業20時間なんてウソウソ。
睡眠時間も休憩も短くなっておそらくADHD具合が増していたのでしょう、ミスが相次ぎました。
そもそもエクセルでのデータ集計、電話での回答確認とか、今思えばなんでこんな鬼門な仕事……頑張ってたな。って涙出てくる。
心療内科2回めの受診
残業で頭が回らなくなってくる中で、休みたい。言い訳が欲しい。と、
自分はADHDじゃないかと疑ってます。病院で検査をしたいので早退させてほしい。と言いました。
直属のチームリーダーは「言い訳にするなよ」というようなことを言っていました。
その上の上司は行くことを許可してくれました。
大学のときに一度行ったきりの病院とは別の病院へ。
ここでは「発達障害ではないかと疑ってます」という話をして、先生は「違うと思うけど……どうしてもというなら大きい病院でWAIS受けさせてもらえるよう紹介状作るけど、やる?」とのことだったので、お願いしました。
WAISの結果が大きい病院から心療内科に届き、総合すると「得意不得意の差はあるけど発達障害ではない。眠れないとかなら向精神薬とか出すけど、要る?」というような感じ。
「えっ、『発達障害の可能性が高い』とか紙には書かれてるのに?」って思いましたけど。
向精神薬の話はありましたが、発達障害に使われる薬の話は出てきません。
この時点で、コンサータとか薬があるのは知っててやる気が出たり、ミスが減るなら試したかったんですけど。
結局特に治療とかもないままポンコツで仕事してました。
茨城に移住
絶対に辞めさせない会社!!というわけではなく、
「フェスで風土が気に入った茨城に移住したい」という理由でブラック企業を辞められました。
もうその時点で雪国での車の運転が嫌になったんです。
事故はほとんどしない(運転人生10年のうち焦ったときの雪道で2回)ですけど、あとは「親元離れて暮らすこと」への憧れがありました。特性ゆえ「イマイチ大人になれてない」実感があって、一度は一人暮らししてみたいという思いがあった。
また、特性ゆえに地元には自分のできる仕事はほとんどないと考えました。
動作性IQが低い(トロい)実感はあって、地元には介護と飲食ぐらいしかない。隣町の都市へ通うには車が必須。無理。
ライターとか編集者といった、ことばに関する仕事が特性に合ってると思いました。
茨城もですが、いろいろ総合して東北民として仙台、この2か所で仕事を探していました。
またしてもブラック企業に、3度めの心療内科
茨城の会社で新事業としてWEBライターを育成したい、その第一人者になるという求人でご縁をいただきました。
フタを開けてみれば求人は週5だったのに週6、しかも定時退社ではあるけど持ち帰り残業、毎日2000文字の記事ノルマという。
ネットビジネスだったら当たり前と講師は言うのだけど、私は週5で定時に終われる会社と思って入社したのでねぇ……
出退勤のときに涙が出てくる、眠れないといった症状が出てくるのは人生で初めてだったので、もう休みたい一心でできるなら、診断書を書いてもらいたいと思って遠くの心療内科に行きました。
結局抑うつ状態として診断書取ったのに一瞥もくれず「そんなことより、あなたの気持ちは?」って訊いてくるクソ社長(&上司)だったんですけどね!!
工場の派遣、4度めの心療内科にて投薬開始
日雇いでフラフラしてる間にコロナ禍がきて、当日知り合った仲間と乗り合いで遠くの工場へ行くのが怖くなったので、派遣に登録しました。
食品系の工場。
茨城という土地柄もあり先輩方の語気が強めだから怒られてるんじゃないかって気持ちになってしまって。後から気づいたんですが、幼い頃、母が私の不注意に対して怒りがちだったので、トラウマなんだと思います。
また、私の同期が先輩方と対立しがちで板挟み。そしてやっぱり仕事がトロいこと、怒られてはいないけど自分の中ですごく気にしていて。
また、この頃は「家事ができない」というのも大きな悩みでした。
(その模様は次の記事に詳しく)
これらの悩みが少しでも、投薬治療でなんとか軽減しないかなぁ。
そんな期待があって4回めのメンクリです。
今までの悩みを箇条書き(とっさにうまく話せないので)、また、以前のWAISの結果を持っていき。
たしか先生に図解しながら説明されたのはこんなこと。
「発達障害にはグラデーションがあって、グラデーションが濃い人から、根岸さんのような薄めの人もいる。ここからここまでが発達障害ですよって区別することはできないから、根岸さんは苦しんできたんですよね」って。
だから、あー。私って、発達障害の中にはいるけど薄いんだぁって思ったことを覚えています。
でも、「発達障害じゃない」ではない。
WAIS結果がすでにあるからか、初診かその次くらいからか早速ストラテラ(のジェネリックアトモキセチン)を処方されて、薬出るんならやっぱ発達障害なんじゃーんって。
発達障害単体での障害者手帳取得へ
そして現在もこの工場で、過剰適応気味になりながらなんとか働いています。
Wワークもしながら時おり「金がねぇ」ツイートをしてるんですが、ある日相互のフォロワーさんに、「発達グレーでも障害者手帳取得できる可能性ありますし、そしたら障害者控除受けられますよ」という旨を教えてもらいました。
私はてっきりこんな状態の私だと受けられないと思ってて(専門家の話的に軽度だし、現在うつ病等の病気はなし)、検討したこともなかったんですよね。
自立支援の話は投薬治療開始の際すぐに先生から話があったから、手帳は対象外なのかと思ってた。
先生に手帳を取りたい旨を話してみると、「3級は取り得る」との回答。すぐに診断書を依頼しました。
他のツイートなんかを参照するに自立支援も先生によるそうですが、手帳も、特に患者から必要としない限りは切り出したりはしないそうです。
取れるんだったらすぐに取るんだったのに……!
そしてやっと取得した際の、喜びのツイート。
特性ゆえに移住せざるをえなかった(仕事や生活スタイルを変える必要があった)けど、そういう自分だから青森から単身茨城に来るという面白いことができてる。
しかし特性の出方が表に見えにくいからこそ、地元にいたままじゃずっと「発達グレー」「(表向きは)無能の健常者」として生きていかなきゃいけなかったのかな、と。
なんだか言い表せない感情があったりして。
今は過剰適応気味とは言いましたが、薬のおかげでそれなりには仕事は出来て、頼りにされてる?ほうだとは思います。たまに条件が重なる(焦る/マルチタスク/体調不良etc…)と、やはりミスは発生しますが。気を張ってるぶんには。疲れるけど。
以前はどんなに「気をつけてる」風でも、ミスばっかりだったからねぇ。
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自身の発達障害を疑ってる人は、諦めずに「可能性はある」よ
私は、ドクターショッピングをしろと言ってるわけではないんです。
私自身、現在は発達障害以外の精神疾患なしで手帳を取りましたが、過去受診に至ったのは「適応障害」「抑うつ状態」の症状がきっかけでした。
やっぱり二次障害によって苦しんだ経験はあるのですよね。
そして度々そういう状態に陥る原因が「発達障害」にあった。そういうことです。
私が移住して思ったのは、茨城も十分全国的に見れば「地方」なんでしょうけど、
地元では精神科の医師や支援センターの専門家ですら「発達障害とはこういうもの」っていう従来のイメージみたいなものがあって、それっぽくない人は「違う」とみなされるんじゃないかなってことです。
そもそも地方だと、HPを見る限り「発達障害」を診てくれそうな病院が少なすぎて……
あったとしても小児専門だったり。
移住が可能な人は、環境そのものを変えてみるのも手かなって思います。
仕事自体が性に合う可能性もあるし、移住先のメンクリが発達障害に詳しくて、投薬治療を受けられるかも。コロナ禍ではありますが。
もちろん、移住が現実的に難しい人も多いでしょう。
しかし地方にて一度の診断で「発達障害じゃないんだ……」って納得するのは早いんじゃないかなって思います。
10年以上さまよいましたが、私は障害者手帳が取得できてほっとしています。
投薬はしていたけどなんだかどっちなの??とふわふわしていたので。今のところ障害者雇用とかは考えていなくてそれほど生活は変わりませんが、この生きづらさにようやく名前というか証がついたんだなという気持ちで良かったです。
長くなりましたが、参考になると幸いです。
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