「普通の仕事」が出来ない=自分は無能だと、思わなくていい。

働くのがしんどい

干し芋選別の仕事で同じ派遣会社から来ていた高校生の男の子が、
「高校卒業して大学行くんですけど、今日バイト初体験です。いい経験になればいいと思って」
と近くの人に話していたのを聞きました。

私の初バイトを思い出しました。

私もそういう思いで大学行くまでの束の間の春休みに応募して、
苦い経験をしたこと。

もがいていたあの頃の自分と、
同じように「自分に出来る仕事はないんだ」とお悩みの方に向けて書いてみます。

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100均棚卸しのバイトを1時間ともたずクビに

高校時代よく通った100均で、
1日限りのバイト募集の張り紙を見かけました。

大学は地元に残るから引っ越しもなく時間も空いてるし、
大学入る前に少しでもお金を持っておきたいし、
何より好きなお店の棚卸しバイトって興味ある。

そうして事前に説明を受けましたが、
棚卸しのバイトというのは商品の点数を数えていくこと。
社員さんが巡回して、数が何度か合わなければ途中で帰っていただくこともありますとの事。
でも数を数えるだけでそんな難しいことじゃないだろうとこの時は思っていました。
 

そして当日。

自分と同年代の若い子もたくさんいました。

私としては普通に数えられてると思っていましたが
社員さんがチェックすると、どうにも数が合わない。

そして重点的に私のところをチェックする社員さん。

私は焦りを覚え、さらにうまく数えられなくなっていく悪循環。
何度やってもダメで、1時間もせず告げられてしまいました。

「すみませんお帰りください」

同年代の子が普通に社員さんのチェックをクリアして普通に働いている中
私はひとり、帰り支度をすることになりました。
あの時の恥ずかしさと言ったらほんと消えたくなった。
 

事前にうかがっていた通り、きちんとそこまでの給料は支払われました。
時給1時間分も貰えない、数百円だったとおぼろげながら記憶しています。

初めての給料って、ほとんどの人にとって特別なもので
「誰かの役に立った喜び」と「初めて自分の力で手に入れたお金で何かを買う楽しさ」を
同時に味わうイベントだと思うんですけど、
私の場合はどちらも味わえるものではなかったんです。

予定していた帰宅時間よりだいぶ早いお迎えで察したであろう母が、
「まあこんなこともあるよ」とかなんとか励ましの言葉を掛けてくれて。
帰途の静かな車の中、私は声に出さずちょっと泣きました。

その他の職業遍歴

間違いなく、その「初めの一歩」が
自身の職業観に長らく影響を及ぼしてきた感じがして。

基本はずっと「働くの怖い」と思っています。
仕事は失敗するもの、
悪い意味でそういう前提になってしまってるんですね。

大学に入ってからのホテルの食事配膳のお仕事も、
気の利かない私はうまく出来ないなあと思うことが多かったし。

そこからの紹介で系列のレストランに勤めた時も、
呼ばれてるのに気付かずお客さんにも上司の方にもめちゃくちゃ叱られたり。
お客さんからとってきた注文を忘れたり、聞き間違えたりしてしまうこともありました。

のちのち振り返ってみると、
自身の特性を考えれば「まあ、そりゃうまくいかんよね」という仕事ばかり
選んできたことがわかります。

棚卸しは「数字に弱い」「短期記憶が弱い」「スピード感の求められる作業が苦手」、
接客業は「細かい気配りが難しい」「短期記憶難あり」「聴覚情報処理障害あり」など
よくもまあ鬼門な仕事ばかりという感じ。うまく行くわけがない仕事だったんです。

高校生までわりと優等生で通ってきた私でしたが
社会の荒波にちょっとだけ触れ、どんどん自己肯定感が低くなっていきました。

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「普通の」大学生のバイトと言えば、「普通の」仕事と言えば……

なぜその仕事を選んだかといえば
地元には「そういう選択肢しかないから」です。

一般的な「大学生のバイトといえば」というのもあったでしょう。ちょっとした憧れでした。

接客や飲食は多くの大学生がこなしている仕事、というイメージがあります。
それが出来ない自分はなんて無能なんだ……と自分を責めていきました。
 

バイトだけでなく、若者がどんどん流出していく田舎では
正社員も含めて、主な仕事は「接客」「飲食」「インフラ」「介護」「事務」のどれか。

これらがうまく行かなければ、
その地域に存在している仕事はほぼ「出来ない」ということになりますから
「普通の仕事ができないから、無能なんだ」と思い込むのも無理はないでしょう。

仕事はそれ以外にも沢山ある。才能は使われてないだけかもよ?

選択肢の沢山ある所へと、自らの置かれている環境を変えてみる

選択肢は現実的に多いほうが色々とチャレンジするハードルも下がるので、
可能であれば環境を抜け出すことも大事だと思っています。

私は青森のことは地元として好きで20代後半まで住み続けていましたが、
やはりやりたい仕事がないというのは大きな問題だったので、
移り住むことに決めました。

茨城も関東とは言え、車もあったほうがいいし
仕事のバリエーションがあるかと言ったらそうでもないのですが。

それでも、冒頭で話した干し芋選別のバイトは自分に合っていると実感できましたし。
そういう仕事に大学生の頃に出会えてたら、
「働くのって楽しいのかも」って思えていろいろチャレンジできたと思います。

だから私は地元のことは生まれた場所として今も昔もずっと好きですが、
もし自分に子供が出来たなら。(予定は全くないけど)
青森よりも選択肢が多い所で育ててあげたいって考えてはいますね。

「選択肢はいろいろある」と口で言っても
目の前に広がるものだけが選択肢だと思ってしまいがちだからね。

特にまだ若いとね。

もちろん自分にあった仕事にたどり着くまでが大変です。
興味があっても実際にやってみたら合わない仕事もあるし。
ただ、意欲的にチャレンジする気持ちを持てるようになることが大切ですね。

沢山の選択肢をインプットし、夢を膨らませる

なお、現実的にその地を離れるのが難しい人もいると思います。
私も可能性が少し広がったとは言え、
土地柄的に選択肢がそれほど多くなったわけではありません。

それでも今は、
「私って仕事できなくて無能だなあ」とは思わずにいられています。

世界に選択肢は沢山あるってことだけは前提として知っておいてほしいんです。
それさえ覚えていれば、1つがダメでも
「自分の才能を活かせる場所じゃなかったんだ」って思えるから。

13歳のハローワークをザッと読んでみるのでもいいかと思いますが、
世の中には沢山の仕事があります。

あなたの特性に合った仕事も中にはきっとあることでしょう。

もしその土地にない仕事ばかりでも、知っているだけで違うと思います。
「ここには合わない仕事しかないんだから、そりゃうまくいかないはずだよね〜」と
いい意味で吹っ切れられるというか。どこを妥協するか向き合い方も変わってくるでしょう。

また、最近だとリモートワークが話題になっていますね。
本社が遠いところにあったとしてもオンラインで仕事ができる場合もあります。

私の場合は文章を書くのが好きなので
得意ではない事務作業のフルタイムを生活の基盤にしつつ、
このブログやライティング作業なんかでいつか収益を上げる、ということを楽しみに
本業の転職活動をしています。

SUZURIで郷土愛をテーマにしたオリジナルのTシャツ売り出すのも
面白そうだな〜と思ったりとか。
夢が膨らむね!

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まとめ

人は、身の回りに見えることだけを「普通」と認識してしまいがちです。

でもちょっと外に目を向けてみれば、「普通」の概念は崩れるし。
「普通」じゃない仕事をしたっていいですし。
 

私の20歳ごろの経験は今となっては、けして無駄だとは思っていません。

接客の基本など今でも生活で役立っていることも多いし、
客観視が苦手な私が「こういう仕事は自分苦手なんだな」と認識できたきっかけになったから。

また、やってみて初めて
苦手だと思っていたことが意外と得意だと気付かされることもありますからね。

でも、必要以上に傷ついて働くことが怖くなってしまったりだとか、
自己肯定感が極端に低くなってしまう事態になるよりだったら
自分の「地雷」は避けておいたほうがいい。

そのためにたくさんの選択肢と自分をよく知り、
視野を広げておくのがいいですね。

働いてみてやっぱり向かないと気づいたとしても、落ち込まない!

そこはあなたのいるべき場所じゃなかった、
ただそれだけなのです。

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