心の病を良くするために知ってほしい、たった1つの事【気づいた】

ハート メンタルケア

こんにちは。
今あなたは、抜けられない絶望というトンネルの中
焦燥感や身体の痛み、思うように動けないやるせなさ、そんなものと戦って
「もうどうしようもない」と苦しんでいることでしょう。

申し遅れました。

私は半年前に希望を抱いて単身実家から引っ越し、
職場でうまくいかず、抑うつ状態になり今も定職についていない者です。
(いまメンタル自体はそこそこ安定しています)

そんな私が、一週間ほど前に
「傾聴・コーチング」というものを受けてどんな風に変わっていったか
今もなお苦しんでいる人に読んで欲しいと思いました。

結論としては、心を病んでしまった人には
抑圧していたこころの声によく耳を傾けてほしいな、という思いにたどり着きました。
 

なお今回は、私が受けたコーチングの紹介記事というわけではありません。

※紹介記事は先日書き上げているのでもし矢御さんのコーチングを受けてみたい!と
いう方はこのリンクから…↓↓
【コーチング体験】自分に対する気づきを得る、ということ

この記事ではその後の話。
Twitterでのフォロワーさんとの交流からこんなことを考えて、
「ああ!世界ってこんな簡単なことだったんだ!」とわかった
「新たな気づき」について書きます。

お付き合いいただければ幸いです。

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メンタルコーチから「おまじない」を授かる

私が今まで、心療内科の先生や心理士さんと何度か話してきて思っていたのが、
こういったメンタルのコーチ的なものは
あくまで凝り固まった考えをほぐす役割でしかないってこと。

もちろん投薬治療などを併用して行うこともあるでしょうが
基本は自分の考え方を見つめ直す作業が必要で、
たとえば「しんどい時も絶対に仕事を休んではいけない」という信条のもと
また復職しても、結局は同じところでつまずいてしまうでしょう。

だから、つまずいたことをきっかけに
自分の「こうでなきゃ」を変える必要がでてくるかなと。

身体的な怪我で例えれば、歩き方を変える訓練を行うこと。
 

――ただ、その価値観ってすぐには変えられませんね。
 

性格的なものもあるだろうし、これまでの学校教育的なところ、
社会の風潮から生み出されているところもある。

そこでメンタルコーチ的な存在の人が、
「おまじない」を授けてくれるイメージでいました。

おまじないっていうのは「しんどい時は休んでいいんだよ」みたいな、
あくまで普遍的なこと。

よく考えてみれば当たり前のことだったりするわけですが、
まさに縛られた渦中にいる人たちは、
自分が今いろんなことに縛られていることに気がつきません。

だから苦しいときおまじないを唱えて自分をそこから解放できるよう、
そのおまじないをその人の人生観に沿いながら
少しずつ授けてくれるイメージ。

だから結局は自分の考え次第だし、と。

コーチングを受けたことで気づきは得られたし、
その「おまじない」ももちろん納得できたから、使っていこうと思いました。

「こうあるべき」というものは世の中にない

コーチングで私が特に影響を受けたのは、私は何をしたっていいと
そのような「おまじない」、つまり概念でした。

私はコーチングを受ける前からいちおう人生について考えて考えて、
「○○すべき」ってものにはとらわれないように
そんな考えに縛られずやりたいことをやろう、とは考えていたつもりです。

ただ、やっぱりこの「すべき」って縛りはなかなか消えることがありません。

これは日本の教育的な考えなんですかね…
枠やレールに縛られて生きること。

そこから外れたら「自分はダメだ」と思ってしまうし、
まだまだ「普通」に憧れてしまう自分がいる。

でも別に犯罪を犯さない限り、正しいことや決まったことなんてありません。

改めて「○○すべき」なんてことはないということに納得でき、
年齢とか立場とか、そんなことを考えず、
私は私のやりたいことをやっていいんだ、と強く思えた。

私はコーチング体験直後、そのような感想を抱けたので
素直に体験してよかったと思っていました。

心を病むのは、心の声を無視し続けるからだと気づく

私がよく交流しているTwitterのフォロワーさんは
私自身が抑うつとか適応障害を体験しているから、心の病と闘病中の方が多いです。
ウザいくらいに声を掛けに行きたくなっちゃうんですよね……

ある日交流している最中に、ふっと腑に落ちることがあって。

みんな真面目で、頑張りやさんで、今もなお辛いのに焦ってしまって、
今日もアレが出来なかった、就職しなきゃ社会に置いてかれちゃう、と嘆いている。

きっと今まで頑張りすぎちゃったから疲れちゃったんだ。
でもまだ頑張んなきゃいけない、とまた自分の心を傷つけて。

こころの声に蓋をするのが癖になって、
こころの声が聞こえなくなってしまってはいないか?
と。

責めてるわけではもちろんありません。
私もそうだったからめちゃくちゃわかるんです、
人にはそんなことしないのに自分には厳しくなっちゃうんだよね。

療養中は我慢しない 〜こころの赤ちゃんをあやす〜

突然ですが、
乳幼児の頃ってやりたいことをやれてた人が多いと思うんです。
ジュースを飲みたいから飲む、絵を描きたいから描く、眠いから寝る…みたいな。

(なお、虐待を受けていたとか経済的事情で出来なかった、といったケースは
 また別にカウンセリング等が必要になってくると思います)

大人になるにつれて、
「社会のルール」「常識」「○○たるものこうあるべき」みたいなのにとらわれて、
やりたいことが出来なくなっていく。

 

なかには原因不明とか、嬉しい出来事がきっかけで発症することもあるようですが、
「心を病む」っていうのは、大体のケースが「こころ」の声に蓋して
無理して頑張り続けたときに、起こるのではないでしょうか。

「眠い」のに、残業続きでろくに寝られない。
「休みたい」のに、月曜に行う仕事のことをどうしても考えてしまう。
「本当はいや」だけど、一人ぼっちだと恥ずかしいからみんなに合わせなきゃ…

限界が訪れた時に、こころが悲鳴を上げてしまう。

でも私たちはやりたいことをやって罰を受けるわけではないし、
そもそも人生において「正しいこと」って何だろう
って話ですよね。

もちろん、あらゆる社会のしがらみから逃れることは、
なかなか現実問題厳しいです。ネットで私刑に遭うこともあるし。
欅坂46の楽曲「不協和音」の主人公のようになれたら、
どんなにいいだろうと思いますけどね……
 

でも、こころを壊して休んでいる最中。

その時くらいは、自分のこころの声に素直になり続けても
いいのではないでしょうか。

疲れたら休む。あれが食べたいから食べる。
泣きたいときは泣く。面白かったら笑う。

ただし。食べたくないから全く食べないとか、
眠くないから徹夜、とかはなるべくないようにね。続くと死んじゃうから。
(その時はお医者さんに相談して、なるべくその状況を解消するようにしてね)

そして体調がだんだん整い始めたら少しずつ生活リズムを整えてみるなど、
自分がここは律してもいいなと思えた所から始めていけばいいなと思います。

自分だけではなくて、そんな風に他の人に対しても
「すべきなんてないよ」って伝えたい気持ちになり、
この記事の作成に取り掛かった次第です。

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「おまじない」を応用することが出来るようになった

少し話は逸れますが、
私は数学をはじめとした応用問題が全く解けません。日常でもそうです。

今回この「おまじない」も、もちろん有用ですけど
所詮は「1+1=2」ということを学んだだけで
そのままの状態で使うことしかできないと思っていました。

でも、Twitterでの交流を通して点と点が繋がったような、
応用問題を解くことが出来たような感覚を味わっています。

私の小さな悩み事だけじゃなくて、
これは日常のあらゆることに活かせることだったんだな〜というか。
そしてそれを自分なりの言葉で表現できたのがすごく大きい成果です。

やはり自分ひとりで考え込むだけではなく
新たなことを学ぶのは、人との交流なくしては語れないと感じました。

終わり。
みんな今夜はゆっくり寝られたらいいなぁ。

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