自己肯定感は褒められた記憶の積み重ねだから

メンタルケア

夕方のニュースで
兵庫県多可町の「一日ひと褒め条例」というのを取り上げていました。
地元の記事はこちら↓↓

1日1回、人を褒めよう 多可町議会がユニーク条例ー神戸新聞NEXT

その名の通り一日一回は誰かを褒めようという条例なんですが、
すっごい素敵だ〜!と感銘を受けたので取り上げてみます。

スポンサーリンク

これってつまり大人も巻き込んだ「折り鶴賞」

地元がばれちゃうかもしんないけど、
私が小学生の頃、折り鶴賞という風習?がありました。

他人がいいことをしているのを発見したら、
その人の名前と良いことの内容(散らかった本棚を整理していた、とか)を投書する。

そうすると名前が書かれた人に一枚の折り紙が渡されるので、
折り鶴を折って校長室に届けたら、校長先生に褒められる。
そんな謎の表彰制度。笑

昔のことなんでどこか制度を端折って覚えてる気もするけど。

でも投書の紙自体もみんなが見られるとこに張り出されるし
褒められるのって悪い気はしなかったんだよなー。

いいとこさがし

んでこの折り鶴賞を先生たちがやらせていた目的は、
「褒められると嬉しい」のはもちろんだけど
「人のいいところに目を向けられるようになる」ってのも大きかったと思います。

男子なんかは「おりづる賞書くから消しゴム貸してー(忘れてきた)」とかやっていましたが
些細なことだけど、確かにイジワルで貸してくれない人もいるもんなぁ。当たり前じゃない。

この条例を大人がどれだけ実践しているかはわかりませんが、
条例を言い訳に気軽に褒め言葉を口に出せるのはいいよね。

スポンサーリンク

他人の背中を日課のように押せる人は少ない

私の高校時代からの友人は人を褒めるのがうまいです。

スタイルがいいとかおしゃれとか、割と日常的に嫌味なく言ってくれます。
本心から言ってるのが伝わるというか。

たとえば痩せなきゃって言っている友達に
「えー細いじゃーん」という発言はよく耳にすると思いますが、
この文脈でのこの発言はほんとに細いと思っているかはわかりませんよね…。

いわゆる「定型」の建前というか。

友人はそういう文脈の中で言うのではなく
思ったことがそのまま口に出たかのように当たり前のように言ってくれるので、

私もその言葉を有難く受け取るようにしています。

私自身は、「あ、素敵だな」と思うことがあっても
「こう言ったらこう思われるんじゃないか」などと
どうしてもネガティブに考えてしまって言えないので、

その友人のことはすごく尊敬して、見習うことにしてます。

SNSなら一日ひと褒めはけっこう簡単かも

友人が褒めてくれることはけっこう信用しているけど、
私は社会に出てからの失敗体験から自己肯定感低めでした。

でも少し改善の兆しはあるかも。

それはやっぱりTwitterのおかげだと思っています。
「いいね」の機能はボタンひとつで気軽に人に
「そうだね」「頑張れ」「すごい!」といったメッセージを送ることができますね。

単なるブックマークの役割や吊し上げの効果もあるかもだけど、
何かしらの心に刺さったということは間違いないわけで。

特にバズりなんかは狙わず呟きたいときだけ呟いていますが、
それでもハートが届いていると嬉しい。
コメントも貰えたときにはめちゃくちゃ喜びました。
頑張る〜!って思えました。

こちらからも心から気持ちを込めて「いいね」するようにしてます。
コメントはまだ出来てないけどね。

スポンサーリンク

大人だって褒められたら嬉しいよね

「ありがとう」「すごいね」「頑張って!」
そんな一言を貰えただけでその日一日
つらいことが頑張れたりしませんか?

私はその力のすごさを知ってるから、
人にもお返ししたいと思っています。

ただ何でもかんでも褒めてしまうと作業になってしまって
ありがたみがなくなってしまうから、
心から思ったことに対してだけね。

今わけあってネット制限をしていて
巡回はあまりしないようにしていますが、

「褒める」ということはできるだけ日課にしていこうかと思います。

これを読んで、「褒める」ことについて
誰かの考えるきっかけになったら嬉しいなー。

メンタルケア
スポンサーリンク
気力のエコライフ

コメント

タイトルとURLをコピーしました