漫画だから、もちろんフィクションではあるけれど。
そして発達障害の症状にも、背負った過去にも個人差はあるけれど。
「彼氏がいるならマシじゃん」なんて、そんなことはないと思う。
「アスペル・カノジョ」という作品を最終話まで読みました。
ASD(以前の呼び方で言うアスペルガー)女性が登場する漫画です。
読んでて苦しくはなるけれど、
「普通の人」と「普通ではない人」の共生について考えるきっかけになります。
そもそも普通ってなんなんでしょう??
「理解のある彼くん」が嫌いな人こそ読んでほしいよ。
発達障害者における「パートナーの存在」問題
まず「理解のある彼くん」って何さ?と疑問に思った人に説明しますと。
最近ネットのメンタルヘルス界隈とでも言いましょうか、特に発達障害を抱えてらっしゃる方の中で、
「理解のある彼くん」を捕まえられるから発達女はいいよなー。という主張がごく一部ですがなされています。
この「理解のある彼くん」というのは、
発達障害や精神障害で苦しんでいる実録漫画の類において色々な苦労を述べたあとに、
「そんな私にも理解のある彼くんが」
という形で唐突に現れる存在のこと。
「元ネタ」という形でググっても
どれが出所かはっきりしたことはわかりませんが、
私も何度かそういうパターンの作品に出会ったことがあるのは事実です。
(もしかしたら後追いでテンプレ化したネタも複数含まれてたのかもしれませんが)
私は発達障害の軽い傾向がある女性ですが。
マジでリアルに恋愛経験がない……というか、
対人関係そのものを恐れている人種。
だからそういう実録漫画において「発達持ちにおいて人生を楽にする方法」を期待したり「こういうとこつらいよなー」と共感する目的で読んでいると
「いや!結局彼ピッピのおかげで今は幸せです(ハァト)エンドかい!!そもそも対人関係に難があったりするのにそれはチートじゃ!!!」
とツッコみたくなることも多々。
「こういう流れで付き合うことになりまして〜」というのがあればまだいいです。(それも処世術のひとつだから参考になる)
脈絡もなく出てくる彼氏には正直「自慢する目的で漫画描いたんか?」という気持ちになるのもわからんでもないんだよね。
恋人いない歴=年齢 だとこじらせがちだからね!!
ただもちろん、恋人があれば万事解決なわけがない
個人的な意見を言えば、私の場合は紆余曲折あった末に
「今では支えてくれる彼氏がいるのでなんとかなってます☆」と言わんばかりのハッピーエンドオチ(に見える)漫画が「またかいッ!」ってなるだけで、
実際にパートナーがいる発達障害者にまで何か言いたいってことはなかったんですよね。
身近な話を聞くたび、
「マジのマジで浮いた話がないの世の中で私だけなのか?みんな誰かしらに言い寄られたりしてるやん。つら……」と自分の身の上を考えることはあっても。
だから実際にTwitterなどで
「同じ発達障害者でも女はいいよな!男捕まえられるんだからイージーモードじゃんか!」
というようなことを言われてると知りビックリしました。
漫画のオチの傾向から「女は誰しも男をゲットしてハッピーエンド」になると勘違いするのは仕方ないとしても、
「それは実際には違う」と指摘を受けても、
頑として認めないケースも多いんですよね。
引っ込みつかなくなってる場合もあるかと思いますが、
本当に想像がつかないのかもしれないなって。
そんな人に読んでほしい漫画があります。
「アスペル・カノジョ」とは
新聞配達で生計を立てている売れない同人作家・横井の家へ、鳥取から突然やってきたのは「ファンだ」という少女・斉藤さん。彼女は見ているもの・感じている事・考えやこだわりが、他の人と違っていて……。これはそんな「生きづらい」ふたりが一緒に暮らして、居場所を探す、日々の記録。
「講談社コミックプラス」より
斉藤さんという女性が、
同人作家の横井さんの家にやってくるところから物語は始まります。
横井さんは最初こそさすがに驚くものの、
斉藤さんのアスペルガー(現在ではASDと言いますね)的な振る舞いに引いたり突き放したりすることなく、
「斉藤さん」という人物を少しずつ知っていき、理解していきます。
不思議な出会いから始まった同居生活から
ふたりは恋人同士になっていくわけですが。
件の表現を使えば
横井さんは「理解ある彼くん」ということになるのでしょう。
でもふたりは、
けして順風満帆な生活を送っているわけではありません。
過去のトラウマのフラッシュバック、自傷癖、自己肯定感の低さからくるパートナーへの劣等感
斉藤さんはコミュニケーションにおいて障害を抱えていて(横井さん曰く”言葉が下手”)、
幼少期から家庭内での虐待、学校でのいじめといった壮絶な過去を背負っていました。
それは19歳となってもPTSD(トラウマ)となって残っており、
自分でもタイミングがわからない時に突然襲ってきます。
そして自分でも意識がはっきりしないうちに「リストカット」をしてしまう。
そんな状態なので、仕事をすることも出来ず。
パートナーの横井さんも実は、人と関わる上ではけっこう複雑なコミュニケーション上の問題を抱えているのですが。
同人作家としては売れずとも新聞配達員として生計を立てているし、
斉藤さんが苦しい状態になったときは自身を犠牲にしてまで支えになってくれたこともあった。
言葉でどれだけ「支え合う存在」「対等な存在」と説いても、
「自分から与えられるものは何もない(または少ない)」と思ってしまうのもしょうがないというか。
「ずっと負担かけてばっかりで 平気だと思ったことなんて1回もない」
アスペル・カノジョ 第96話「傷だらけの帰路」より
泣きながら語った斉藤さんの気持ち、痛いほど伝わってきました。
これでも「発達の女は男捕まえて養われればイージーモードでいいよな」なんて言えるでしょうか。
もちろん発達障害を持つ女性誰もが
斉藤さんと同じ体験をしているわけではないでしょう。
でも、
パートナーが働いてるのに自分が特性や二次障害のせいで働けなくて申し訳ない、というような話はよく聞きますね。
愛している相手だからこそ
与えられたらその分だけ返したい、と思うものではないでしょうか。
いくら「こっちもたくさん貰ってる。困ったときにはお互い様だよ」と言われても。
「与えてもらうばかりで、こちらから何も与えるものがない」と感じるのはつらいですよ。
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知らないなら物語や体験記でその立場を想像して共感しよう
男だからとか女だからとか関係なく、
ASDの特徴に「想像力の障害」がありますよね。
だからまあ……体験してないことを想像しろってこと自体が
そもそも難しい話ではあります。
ただ「文学的小説」を読むことで「共感力」が高められるという実験結果が出ています。
「他人の立場になって物語を読み進めていく」という体験が、他者への理解や想像力を育むのだとか。
参考:共感力を高めるのに効果的な4つの科学的手法 | ライフハッカー[日本版]
ASDに限った研究ではないので、ASDにおいてどれだけその力を伸ばせるのかは不明ですが。
漫画や小説で「誰かの立場を知る」という体験をしてみてください。
もちろん作中で言われている通り、
これは「斉藤恵型発達障害」の描写であり
人によって個人差があることは理解しておかねばなりませんが!
じゃあ実際に性差はないのか?
物語はASD女性が「希望のない物語」の同人作品を読んで、
「これは自分の物語だ」と思い男性作者の家に押し掛けたことから始まります。
これが男女逆だったらどうか……といえば
女性の家に突然男性が「ファンです」と言って押し掛けたら、
間違いなく通報案件ですよね。
まあ斉藤さんの場合も、「横井さんだったから」こその流れではあります。
斉藤さんは作品に「自分と似たもの」を感じ取って会ってみたいと思うわけですが、
必ずしも作品のテーマと作者の性格(思想)が一緒とは限りませんし。
「うわヤベえ女だ」と思って話を聞かず門前払い、
通報される可能性もあったわけですよね。
(もちろん斉藤さんが危惧した通り、レイプされる可能性も……)
横井さんは学生時代の部活の後輩の件がきっかけで、
「伝えたいことがあるのに言葉が下手でうまく伝えられない人」への興味を持ってた人だったから、
初対面の斉藤さんを家に上げた。
単なる「女だから」ってわけでもないんですよね。
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まとめ【アスペル・カノジョはASD当事者の言葉にできない苦しみと『翻訳者』の視点が描かれている】
私も、恋人がいたことはないし
発達障害の症状はところどころありつつもASDの症状は少なかったり、
フラッシュバックの類は起こったことはありませんから、
「アスペル・カノジョ」を読んで
「こんな感じなんだー」と一部を体験した気持ちになりました。
妊娠の体験ジャケットをつけて妊婦の大変さを考えたり、
視覚障害の体験学習をしたりするような。見てる世界を考えるというか。
作中で印象的なのが、主人公の横井さんが
斉藤さんを「言葉の下手な人」「ずっと翻訳が必要」と表現している点です。
横井さんの表現は独特でありながらわかりやすい。(借金玉さんを連想する)
それは発達障害の世界を知らないいわゆる「定型発達者」にも届きやすい形での翻訳であり、
同時に「違う立場にある発達障害者」にも届きやすい形であると思います。
ぜひ読んでみてください。
「発達障害持ちの女はイージーモード」論調、
「あっ申し訳ない思い込みでした」って気づく人が一人でもいればいいなぁ〜〜。
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