私は、相貌失認という症状を持っています。
簡単に言えば「人の顔が覚えられない」というやつです。
数十年顔を突き合わせてきた母や妹でさえ
買い物ではぐれたとき服装を記憶していなかったら、
見つけられるか自信がありません。
ただこの大変さって、人に伝えにくいところではあります。
そもそも顔がわからないって、
当事者以外に理解しづらい感覚ではあるでしょう。
今回は、
顔に「あるコンプレックス」を持った女子高生と
相貌失認の症状を持った高校教師の出会いから展開していく漫画を紹介します。
鈴木望 作「青に、ふれる。」
とても爽やかな絵柄。詩的でどこか青春を思わせるタイトルも素敵ですよね。
表紙の女の子の左目のあたり、「あれっ」って思いましたか?
それがきっと、太田母斑をお持ちの方が日々感じている視線なのでしょう。
生まれつき顔に太田母斑(おおたぼはん)と呼ばれる青いアザを持つ女子高生・青山瑠璃子。アザのことを気にしすぎないよう、周りにも気を使われないよう生きてきた。新たな担任教師の神田と出会った瑠璃子はある日、神田の手帳を目にしてしまう。クラスメイトの特徴がびっしりと書き込まれているのに、自分だけ空欄なことに気づいた瑠璃子は神田を問い詰めに行く。しかし、神田は“相貌失認(そうぼうしつにん)”という人の顔を判別できない症状を患っており――。
株式会社双葉社「青に、ふれる。 1」本の紹介
「人の顔の区別がつかない」先生と、
「顔にみんなとは違う特徴を持つ」高校生。
相貌失認が気になって漫画に興味を持ちましたが、
太田母斑という生まれつきのあざについても、私は興味を持ちました。
太田母斑について
太田母斑、という名前はこの漫画を通して初めて知ったのですが、
私は中学生のころ、おそらく同じあざを持った子に会ったことがあります。
同級生で同じ卓球部に入っていて、
この漫画の主人公・瑠璃子のように、明るくてよく笑う子でした。
具体的にそのあざが太田母斑だと聞いたわけではありません。
まあ、なんとなく聞けないよね。(今思えば何度となく聞かれてきたことだろうし、私は言葉が下手だからそれで正解だったと思う)
生まれつきのあざだろうと怪我だろうと、
あざがあること以外は普通の子なんですよもちろん。
でもやっぱり見た目で苦労してきたことはいっぱいあっただろうなって。
その子のことを思い出したのもあり。
相貌失認を持つ先生だけでなく、主人公の瑠璃子の心の動きにも注目して読み進めました。
「目に見える」違いと「目に見えない」違い
相貌失認を持っているというのは、明らか目に見えてわかるというものではありません。
だから周囲には理解されにくいし、
「まあよくあることだよ」と言われてしまう。発達障害なんかもそうですね。
対して太田母斑というのは生まれつきのあざで、
痛みはないでしょうし病気や障害というわけでもない。
ただ、「他の人と違う」というのがわかりやすく目立ってしまう。
それで他人から言われたことに傷つくことも多い。
目に見えない障害を持っていると、時おり
「見た目で普通と違うっていうのがわかれば『甘えだ』なんて言われずに済むのになあ」なんて思うこともあります。正直ね。
でも「目に見えない」個性、「目に見える」個性、
いずれも他の人と違うことで苦労するのは一緒だよなー。と改めて思いました。
それぞれ「普通と違うもの」を持つ者同士の出会い
そんな「目に見えない」個性と「目に見える」個性を持った教師と教え子。
上に書いたことを一例として
それぞれ違うところで苦労し、何度となく傷ついてきた2人ですが、
凍った氷をじわじわと溶かすように、お互いが癒やされていく。
なんかこの2人が出会ったことに、私はとても運命めいたものを感じるなあと思っていて。
商業作品において話の展開に「意図」が生じるのは当然だと思うんですよ。
同人じゃない限りは売れる作品を目指さなきゃいけないでしょうから。
ただ「青に、ふれる。」においては
太田母斑を持つ女の子と相貌失認を持つ男性が出会ったことは、偶然じゃない。
出会うべくして出会ったような必然性を感じるのがうまいなあと思いました。
相貌失認について
神田先生はけっこう重度の相貌失認なのかなあと思っています。わかんないけど。
少なくとも私よりも判別ついてなさそう。
ただ瑠璃子の親友の七実(ななみ)は
髪型と背格好と「独特な世界観を感じるので」区別がつくってのはとても共感。
独特な世界観持ってる人ってわかりやすいよな。
漫画だから記号的な表現にはなってるけど、
七実ちゃんは現実にいてもわかりやすそう。
相貌失認と学校
私は学生のときには相貌失認だと全く気づきもしなかったほど
学校で「区別がつかないこと」による苦労をしたことがあまりありませんが、
教師の側に立てば絶対、苦労することは目に見えてるな……と思います。
陰キャな学生で最低限の交友関係があれば、
席は決まってるし意外と困らないんですよ。(まあ軽度だからだろうけど)
お目当ての先生を探さなきゃいけないときも、
職員室って机でテストを作ってたりするから扉のあたりで名前を呼べばいいし。
でも教師側としたら、指導上
自席を離れてる生徒の名前を呼ばなきゃいけないときもあるだろうし、
職員室で同僚の先生に話しかけなきゃいけない場面も多いですよね。
作中で神田先生が言う通り、
教師って制服も規則もないはずなのに似通ってるってのわかるわ!
特に男の先生ってウォーリーを探せ状態になるよね〜〜。
神田先生に共感したシーン
生徒の髪型や持ち物、声など、特徴を記したメモ。
これが瑠璃子と神田先生の出会いにおいて大切な役割を持つわけですが、
私も相貌失認の自覚がない頃からこういうメモ書いてたなあ……と懐かしい気持ちになりました。
「顔」で覚えられないから、それ以外の特徴でなんとか認識してくしかないんだよな!
(あっ、このアクセサリーつけてるから白河先生だな)って感じとか!わかる!!
文化祭と球技大会で
いつも以上に誰が誰だかわからなくなるのもあるある!
陰キャだから呼ぶことなくて大丈夫だったけど!!
生徒だけじゃなく保護者の顔も覚えなきゃいけないから
先生ってほんと大変だよなあ……しかも保護者なんて頻繁に顔を合わせるわけじゃないし。
「そのアザ オーラだと思っていました」
前述した、生徒の特徴を記したメモの自分の欄に
何も書いていないことに傷つき、メモにまで気を遣われたと怒る瑠璃子。
神田先生はアザのことを「青いオーラだと思った」と不思議発言。
私、作者さんの対談記事にて鈴木先生のお顔を拝見したことがありました。
参考:外見のコンプレックスとどう付き合うか。深層にある「親との関係」<鈴木望×水野敬也対談> | 女子SPA!
そこで先生ご本人が太田母斑をお持ちということを知るのですが、
記事を読んで「えっそうなんだ」とじっくり顔を見たら「ほんとだー」とわかる感じで、
最初はそのあざに気が付きませんでした。
実際、顔そのものが情報として認識しにくい相貌失認持ちにとって、
アザも認識しにくいものかもしれないですね。
もちろん個人差はあるんでしょうけど。
ちなみに、私が漫画を「読んでみたいなー」とツイートした際に
恐れ多くも先生からリプをいただいてまして。
実際に相貌失認の方へ取材を行ったうえで作り上げられたものだそうです。
当事者としては非常にリアリティーが感じられるので、
他の、症状持ちの人の世界を覗いているみたいで勉強にもなります!
「自分のせい」って思ってしまうこと、きっとあなたにもあるよね
相貌失認、太田母斑、そういった名前のつくようなものでなくとも
ルックスのこととかコミュ障だとか、何らかのコンプレックスをお持ちの方は多いのではないでしょうか。
作中で「自分が悪いだけで、傷ついてない」と強がる瑠璃子に、
神田先生は言います。
「たとえ青山さんに非があったとしても人のせいにしたっていいし ひどいことを言われたら”傷ついた”と言っていいんです」
「青に、ふれる。」1巻
そしたら多分今よりは、気持ちが楽になると。
その後神田先生が傷ついて苦しんでいるときに瑠璃子は、
先生に出会う前の自分……自分を責めてばかりの自分が苦しかったことを伝えます。
「生まれつきのもので誰のせいでもないのに どうして”自分のせい”って…」
「青に、ふれる。」3巻
相貌失認と認識する前の幼い頃の神田先生も「全部僕のせいなんだ」と自分を責めていた。
そうなんですよね。生まれつきで持っているだけで、別にどうにも出来ないものを自分自身が責めてしまう。「私のせいだ」と。
私が悪いから、私が弱すぎるからいけないんだと。
身に覚えのある方も多いのでは。
だからこれは、太田母斑や相貌失認に関心がある人だけでなく、
コンプレックスを持っている人みんなに読んでほしい漫画なのです。
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まとめ【「青に、ふれる。」で容姿にまつわる辛さについて考えてみよう】
普通ってなんだろう。
そう考えてる私が、いちばん「みんなとは違う」ってことに敏感なのかもしれない。
そうやって意識するほど、
「普通」ってものを渇望してしまうのだよ。
日本ほど「みんな一緒」をよしとする文化じゃなければ違ったのかなあ。
……まあでも、普通じゃなく生まれてしまったのだから。
「私なんか」じゃなく、これも私の一部として生きていこう。
そう思える漫画でした。
常に前向きにコンプレックスを捉える、というわけにはいかないのが現実。
でも強がらずに素直に「このままでいいんだ」と思える日が増えて、
現状が少しでもいい方向に進んでいったらいいよね。
瑠璃子が恋を自覚したときの表情がたまらなく好き。
瑠璃子、がんばれ。
七実と同じ気持ち。君はかわいいよ。
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