【レビュー】「大洗おもてなし会議」を読んで聖地巡礼をしてきた

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大洗の日の出と松の木

その小説の存在を知ったのは駅近くのコンビニだった。

タイトルに掲げられた「大洗」の文字と
表紙の背景に描かれている「神磯の鳥居」から、
「ここ」を舞台とした小説なんだな、とわかった。(私は大洗在住)

鳥居をバックに佇む2人の男女のイラストと、裏表紙に書かれたあらすじから、
「これ私絶対好きなやつだ。読まなきゃいけないやつだ」と確信する。

私は要約するのが苦手なので、ちゃんとしたあらすじは各購入画面から参照してほしい

 
ただ、個人的な予定として転職活動をする必要があり、
物語読むより、もっと先にやるべきことがあるだろ…仕事決まってから…と
購入するのを後回しにしていた。(買うと読んじゃう衝動性)

ただ今回大洗のコワーキングスペースにて
この本の著者である矢御あやせさんが読書・作業会を開くことを知った。

なにか運命めいたものを感じて、これは読んでから行くべきだ!と購入して数日。

私は朝6時半、
大洗磯前神社の神磯の鳥居の前に立っていた。

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物語が始まる場所、大洗磯前神社

表紙のイラストが象徴している通り、
この物語では大洗磯前神社が頻繁に登場する。

表紙に描かれている男女…笑うことができない主人公の皆川涼子と、
東京から来たいつもヘラヘラしていて食いしん坊の若医者・加賀先生。
この2人が出会った場所こそ神磯の鳥居の前だ。

加賀先生の友人のイタリア人・アンディが
ガルパン(大洗を舞台にしたアニメ)の聖地だと言って駆け上がった石段も。

涼子と加賀先生が早朝ジョギングするために集合したのも神社前だ。

この日は雲が厚く、水平線から直接の日の出は見られなかった

 
個人的に、私が大洗に越してきて最初に訪れたのがこの神社で
私にとっても「始まりの場所」だったからか、
涼子たちに何か近いものを感じていた。

同じ空気をまとえば涼子たちに会えるような気がして、めったにしない早起きをした。
空が白んできて分厚い雲から光が差すと、海面に反射して大洗の朝を伝える。

おもてなし会議の舞台となる、先生の診療所

加賀先生は、磯前神社の坂を上った所にある診療所で働いている。

涼子の「愛想がない自分を変えて、おばあちゃんの民宿を継いで、
大洗にもっと人を呼びたい」という心の叫びを受けて、
「足元の小さなことから変えていく」ことを目的とした会議。そのメイン会場となる所だ。

情景の描写が丁寧で、読んでいる時点であーあそこね!とすぐに分かった。
涼子とは逆方向からだったけれども、私が初めて神社に行くため坂を下っていき、
赤い橋とともに見えたキラキラと輝く海が記憶から思い起こされる。

この近くに先生の診療所がある。この日は天気が悪くて橋の向こうの海はキラキラせず、空との境界線があいまい

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涼子の祖母が経営している民宿「松川荘」

祖母は民宿を「自分の代で閉める」と言っているが、
涼子は内心自分が継ぎたいと思っていた。

「大洗」という町の盛り上げとともにこの物語のテーマとなっている、民宿の存続。

聖地巡礼目的ではなく、本当に偶然だったのだが、
同じタイミングで大洗の老舗旅館でバイトする機会を得た。

私は涼子とはまた違うタイプのコミュ障で
仕事自体はしんどくて大変な思いをしたのだが、
民宿で働く涼子の気持ちを少しは追体験できたつもりでいる。

やっぱりみんなが楽しそうでいてくれると嬉しい。
日常から離れて、せめてこの一時だけはゆったり羽を休められる時間となってほしい。
 

作中で度々登場する、
「大洗はみんなの『帰る場所』」
という言葉。

私はそのように言語化はできなかったものの住んでいてうっすら感じていたことだが、
束の間の休息に訪れるお客さんの表情を見て、その言葉に改めて納得した。

「ボーノ」な大洗グルメ

この作品には大洗の食べ物がこれでもかというほど登場する。

みつだんご、あんこう鍋、しらす丼、
好梅亭のとろ火焼きとおだんご、月の井(地元の蔵元)の日本酒、などなど。

私も大概食べるのが好きで大洗の名物となるものはけっこう食べているが、
とろ火焼きと日本酒は、店自体は知っていたけど未体験だった。
今までひとりで入る勇気が持てなかったのだが、どうしても口にしてみたくなった。

とろ火焼きと、月の井の日本酒

何枚でも食べられてしまう、とろ火焼き

とろ火焼きを売っている好梅亭は、今はおだんごは作っていないそう。
涼子とアンディが頬張るシーンが印象的だったのでそこは残念。

涼子が「おせんべいは、日本にいればどこでも手に入れられるお菓子」と言う通り、
とろ火焼きは私は最初、一口目で「他のせんべいとは違うっ!」と感じるほどではなかった。
むしろ東北出身のため濃いめをよく食べていたので、味が薄くさえ感じていた。

…ところが、このしょっぱすぎないところが逆にいい!
一枚食べたらまた一枚、手を伸ばしたくなってしまう。
食感も硬すぎず柔らかすぎず、楽しい食感。…クセのなさが逆にクセになってしまう。

4袋600円程度で買えたがあっという間に数が残り少なくなってしまった。
アンディがお土産用にいっぱい買うのもわかる。

ふだん呑まない私でもすっきり飲めた、月の井の日本酒

私は甘いスパークリング清酒は飲むが、度数の高い日本酒は好んで呑まない。

口に入れた瞬間「酒です!」と舌にガツンとくるようなアルコール感が強すぎるからだ。

作中でアンディが先生と飲んだ「彦一」というお酒もそうだとしたら、私は呑めないので
店員のお姉さんにどんなお酒か訊いてみた。(小説をもとに来た、という話もして)
そしたら試飲をさせてくれることになった。

ちょっと憧れていた「お猪口」に、彦一を注いでもらって一口。
度数は16度と決して低くはないのに、あのガツンと攻撃的な強さはなく、飲みやすい。
すっきりとした味わいの中に上品さを感じる。

でもお猪口の残りを飲んでいるうちにやっぱり身体が熱くなってきて、
アルコールの強さを肉体に感じたので、やめた。元々酒には強くないので……
作中の加賀先生はこれを何杯も呑んで潰れないなんて、そりゃ伝説になるわ。
 

いろいろ見て回るうち、私は桜のシールとラベルが貼られているお酒に目を奪われた。
びんの底にピンク色の層ができている。

「この沈殿物を、ゆっくり逆さにすると全体がピンク色になるんですよ」
店員さんの一言に、ぐっと来た。度数9%のスパークリング日本酒。
春、可愛いもの、季節限定に目がない。ちょろい女です私は。

仕事が終わってからの晩酌としていただいた。
余談だが発泡することもあるので開栓注意だ。(やってしまった人)

ふだん飲んでいる市販の5%くらいの甘めスパークリングに比べたらそりゃ強くて辛めだけど、
美味しいです。
飲みやすいし、「お酒を味わっている」と感じられる、絶妙な強さ。

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作品というフィクションに織り交ぜられた「現実」

大洗と「東日本大震災」

私は震災のとき地元にいて、隣が被災した港町なので他人事とは思っていなかったのだが、
大洗にも津波が来ていたことを、海沿いにある
かねふくめんたいパークの玄関先の資料で初めて認識した。

作中でも大洗の観光業を語る上で、震災は欠かせない出来事として出てきている。

ものを壊されるだけじゃないつらさ、悔しさ。
涼子の中にある祖父との思い出…。
 

いま、大洗の海沿いには高い高い防波堤が作られている。

きっと、震災の前にはこんな視界を遮るものはなく、
広くどこからでも美しい海が見えたのだろうと想像すると、すごく切ない。
その海が時に牙を向いて襲ってくるという恐怖も相まって。

茶色い手帳で指し示したのが大体の私の身長。(166cm)浸水高さはそれを余裕で越えている

大洗とガルパン

「いま」の大洗を語る上で欠かせないキーワードがガルパンだ。

私が引っ越してきてすぐに面食らったのは、
町でガルパンのキャラが目に入る確率の高さだ。

仕事で引っ越しが決まるまで大洗そのものを知らなかった私は、
ガルパンが大洗という実在の町を舞台にした作品だとは知らなかった。
(ガルパンというタイトルだけは知っていたけど、どういう話かは全く)

はじめは若者たちが企画してキャンペーン的なものを仕掛けたのかなと思ったが、
参加しているのは老舗っぽいお店も多く、どこに行ってもキャラのパネルやポスターを見る。

作中でもしっかりとガルパンについて言及がなされている。
震災後のこの町に賑わいをもたらしたのは、聖地巡礼目的のガルパンファンだった。
先に紹介したアンディも、ガルパンきっかけで大洗を知った1人だ。

私はフィクションの中に実在のアニメが登場しているのがすごいと思った。
震災後の復興とかかつての賑わいを!というテーマにしたいのなら、
実在のアニメの存在は邪魔にもなりうるだろうと。

かと言ってもし意図的に存在を消してしまったのなら、実際の大洗の現状を知らない人には、
「小説ではこうだけど現実にはガルパンがあるもんね」という話になりかねない。

そこを「震災後寂れた町にガルパンの聖地巡礼者が相次ぎ、町に活気が戻ってきたが、
それでもかつての賑わいには届かない」という問題そのままにすれば、
読者に町の問題がよりリアルに感じられるようになる。

著者である矢御さんが町のひとにかなり取材をされたということなので、
フィクションでありながら涼子たちは実際にこの町に生きているような、そんな気がしてくる。

大洗の町のひとと、外から来たひと

「こんなとこになんで来たの?」

私が青森から単身大洗に引っ越してきたことを町の人に伝えると、
必ずこんな反応をされる。
結婚で旦那についてくるか、ガルパンファンじゃなければありえないという反応だ。

「こんななんもねぇ町に」

作中でも、町の多くのひとは大洗をそんな風に感じている、と言及されている。
物語スタート時点での涼子も、どこか悲しく感じながらも、同調してしまっていた。

大洗だけでなく、茨城県そのものが「何もない」と揶揄されることは多い。

他県で生活していた頃の私の耳にも、
都道府県魅力度ランキング最下位は茨城県、というのは
度々耳に入っていた。

でも、茨城に住んでみたいと思っていた私は
「そんなことないのになあ」と思っていた。

ROCK IN JAPAN FESTIVALという茨城県ひたちなか市で開催される夏フェスで、
私は過去何度か茨城県を訪れている。

もちろんフェスが第一目的だが、会場のひたちなか海浜公園へ向かうまでの
電車やバスから見える景色とか、空気感とか、すごく自分に合う気がして、
茨城県に移り住みたい気持ちで求人をよく見ていた。

私は水戸に本社のある会社に応募をして採用され、
大洗に新オフィスを構えるということでそちらに引っ越すことになった。
大洗はそこで名前を知ったのだから、越してきたのは半ば不可抗力だ。

引っ越してきたきっかけとなった仕事は辞めてしまった。
それでも越してきた日から今日まで、ここに引っ越したことを失敗したと思ったことはない。

食べ物は美味しいし、海は綺麗だし、人は優しい。
商店街はどこか懐かしい気持ちにさせてくれるし、穏やかな時間が流れている気がする。
そんな大洗が大好きだ。
 

前述の都道府県魅力度ランキングの件に話を戻す。
茨城が長らく最下位であるのは、県がアピール下手だからという説が有力とされるが、
私はどうにも腑に落ちないでいた。

作中で涼子が、照れ屋で謙虚な県民性が原因だと分析していて
ああ県の広報だけじゃなくて県民性がそうなのかとめちゃくちゃ納得した。
自慢するとか、褒められても素直にありがとうと言うのが気恥ずかしいのだ。

私は茨城県の魅力に気づいて引っ越し住み続けているのに、
「なんでこんなとこ!」と言われると自分の感性を否定された気がして悲しくなってしまう。

作中の小野さん、アンディ、ガルパンファンのみんな、千鶴ちゃん、そして加賀先生も、
外から来たひとで、私はそっち側の人間だ。
みんな大洗の、茨城の魅力に気づいている。

素直に受け取って、「ありがとう、すごいでしょ」って胸を張って言ってほしい。
せっかく良いものがたくさんあるんだから。

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本と出会った直感は間違いじゃなかった

今日も涼子や加賀先生が町にいる気がする。
加賀先生は食いしん坊だから、私おすすめの
梅カフェとかお茶の国井屋とかはもう知ってて常連なのかなーとか、そんなことを考える。
 

この記事(レビュー?レポ?)を読んで、
一人でもこの小説「大洗おもてなし会議」を読んでくださる人が
増えればいいなと思う。

そして大洗に一度来てみてほしい。

また「帰ってきたく」なると思うから。

コメント

  1. […] 【レビュー】「大洗おもてなし会議」を読んで聖地巡礼をしてきた […]

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